霧
昨夜は雨が降っていたが、深夜には止んだようだ。
天気予報では今日は一日晴れると聞いていた。
仕事のために始発に乗らなければならない。
まだ日は昇っていない時刻の出発。
哲学書の中には「日の出前が一番暗い」などという言葉もある。
そんな時間に私は15分ほど自転車をこいで最寄り駅まで行くことになっていた。
身支度を整え、玄関の扉を開けた。
「霧だ……」
思わずそう呟くほど、外は深い霧だった。
一歩外に出るとこの地域には珍しい深い霧が私を包む。
すぐ近くにあるはずの街灯が、ぼんやりとしか見えない。
恐る恐る、私は自転車を発進させた。
角を曲がるとあるはずのコンビニがいつもよりも遠く感じる。
ひんやりとした、湿った空気を鼻腔に感じながら私は自転車をこぐ。
コンビニを通り過ぎると交差点がある。
霧のため赤信号がぼんやりと光っている。
「信号が変わる頃にあの交差点に着く」
いつもの感覚で私は予想をする。
自転車を交差点に向けてこぐ。
赤信号はぼんやりと光ったまま。
あと少しで交差点にたどり着くはず。
それでも信号が変わる気配がない。
結局予想に反して信号は私に都合よく変わらなかった。
私はぼんやりと光る赤信号の下で、信号が変わるのを待つ。
ほんの少し経った頃、信号が青に変わった。
再び私は自転車を発進させる。
交差点の向こうは農道だ。
街灯もまばらで、両側は真っ暗の道。
わずかなハンドルミスで田んぼに落ちてしまう可能性もある。
そして今日は深い霧。
その中を私は慎重に自転車を走らせる。
振り向いてはいけない。
自然そんな気分になる。
振り向いたら、そこには何かがいそうな気がする。
「いい歳して何を考えているんだ」
自嘲しながらも、後ろを振り返ることができない自分がいる。
真っ暗な農道の真ん中に差し掛かる。
あと少し。
あと少しでこの道を抜ける。
農道の先には交差点。
それもまた、霧のため、ぼんやりと見えるだけ。
ぼんやりとした赤い光をめがけて私は自転車をこぐ。
生ぬるい風が足首をなでる。
それを振り切るように私は自転車をこいだ。
「信号が変わる頃にあの交差点に着く!」
ついに農道を抜けた。
交差点にたどり着いた。
さらに信号はタイミングよく青に変わった。
私は一気に交差点を駆け抜ける。
まだ霧は続いているが、そこからは街灯も多い明るい道だ。
ほっとした私は、そこで初めて後ろを振り返った。
信号機の向こうに真っ暗な農道が見える。
当然何もない。
「何を怖がっていたんだか」
改めて年甲斐もなくありもしないものを恐れていた自分を自嘲した。
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